タイの友人からの手紙

仏教の中でも上座部仏教はタイで最も大きな文化的影響の1つであり、タイ社会の構造の大部分を占めます。アメリカ国務省によるとタイ人の94%が自身を仏教徒であると認識し、タイ国王は仏教に従わなければなりません。私自身も今は仏教徒です。
私の一定ではない呼吸は膝まづく私の迸る血と合い、私の前に座る濃いオレンジ色のロービを身につけた五人の女性の方を見ます。私は祈るように手を合わせ、3回お辞儀をし私の頭のてっぺんから始まり胸の下で終わります。手を地につけ、頭を床につけます。修道士が合唱し始め、私は前方に不器用にシャッフルします。花、募金とろうそくをタイで初めての女性僧侶である最前列の僧侶へ提供します。そして私は歌い始めます。
私はブッダダーマ(ブッダの教え)とサンガ(僧侶)の難を避けることを誓います。これによって私は仏教へ改宗し始めました。この3つは仏教の柱となるものです。
続いてVenerable Dhammananda Bhikkuhuniと発音することで仏教の5つの訓示を誓い、合唱します。
私は生き物を傷つけないこと、与えられていないものを取らないこと、不義を犯さないこと、嘘をつかないこと、麻薬や酒を摂取しないことを誓います。これらの5つの訓示は仏教の「ルール」なのです。
これらの誓いと私の前にいる僧侶の加護により私はついに仏教徒になったのです。
私と親しい人々は、私が仏教徒になったと聞いて少し驚きました。彼らは私が仏教を選んだことに驚いたわけではなく、宗教に従ったことに驚いていました。私はカトリックとして生まれ、その後自分の精神的なもの以外の宗教を信じないことにしていたのです。
宗教に参加することは、早まったからではありませんでした。私は、個人の利益のために宗教団体を利用する多くの人が嫌いでした。宗教は親切で互いを思いやるという思想のもとにあるべきだと思っているからです。
最終的に仏教に入信した理由は、必ずしも慣例に参加しなくて良いからです。もちろん私はそれらを学び参加したいと思っています。仏教の信条は親切で同情心、認識と意識、自己研鑽と自身の啓蒙が宗教的実践よりもライフスタイルにあるのです。
タイに来る前、私は仏教のことは少ししか知りませんでした。そして今でも学ぶべきことが沢山あります。ここでの過去数カ月、寺院へ行きたいの文化や宗教を学ぶことで仏教やその信条と慣習の理解を深めました。少なくとも私の好奇心をそそったのです。
仏教について深く学べば学ぶほど、多くの精神的価値が私に合うと感じています。親切や同情、我慢と同じなのです。そしてものの一過性の概念をしり、魅了することや価値ある展望よりも習慣がどのように助けるのかを知りました。
学校、仕事、毎日の暮らしの障害でで多くのストレスを感じている私にはこのコンセプトが物事を深刻に考えすぎないように思い知らせてくれます。また複雑な状況でもポジティブでいるように助けてくれるのです。
仏教のさらなる魅力は自分自身、他人、あなたの周りの世界の意識や気づきに焦点を当てていることです。これは平和に対する強い気持ちと穏やかな感情への手助けもします。この意識や気づきは欲望や世俗から自身を解放するという仏教のコンセプトに関係しています。私はこのメカニズムを自己改善に役立て、ありのままに自分を受け入れ自分の不安を解き放つ道しるべとしました。
宇宙へ放ったものは取り戻すものであるという意識とカルマというコンセプトは宗教の魅力を私に気づかせてくれました。つまりあなたが悪行よりも善業を意図的に行えば、いいことがあなたに戻って来るというのです。別の道を行けば、その結果と向き合うことになるでしょう。これは私の目標である他人の気持ちを考えて行動するというものを強固にしました。
ウェブスター大学の学友で私の友人であるOakar Aye Aungはビルマ出身の2年生で、仏教の教えのもとで育ちました。彼の宗教観は精神的なものですが、慣習も引きついでいます。
Aungは仏教のカルマというコンセプトを引き寄せの法則(ポジティブな考えは人生をより前向きなものにする)のもと彼の信条に適合させました。引き寄せの法則は身体的というよりも、精神的なエクササイズです。この方法はカルマ(カルマ=意図的な行動、引き寄せの法則=意図的な考え)とは異なりますが、ゴールは同じで、人生をより良いものにし、前向きさを増やすということです。
Aungはビルマにいるときには月に1回寺院へ行き、 badee(西洋の宗教でいうロザリオと似ています)を1日1回宗教的慣習として合唱すると言います。彼は仏教の考え方である今を生き、様々なことに影響されないように自分の感情に気づき、意識することを心がているようです。
また、彼は様々な宗教の慣習を日々の生活に取り入れることが好きだと言い、1つの考え方にとらわれないようにしていると言います。例えば、彼は仏教が求める責任をという部分が好きですが、キリスト教の寛大さというコンセプトも好きだと言います。1つ、今日の全ての宗教において彼が嫌いな部分は宗教の傾向で、信者が宗教を政治の言い訳に使ったり、良い行いよりも彼らのイメージに焦点を当てているということだとAungは言いました。
「見返りを求めて人々は行動するのです。」とAungは言います。「利益のためというよりも、認知のためで、自己中心的です。」
宗教の考えや慣習は時とともに変化し、だんだんとより若い世代の支持を失っています。この世代は宗教の傾向から離れつつありますが、何か大きなものを信じるということは薄れているわけではありません。Aung、私、そして数えきれない多くの人が宗教の慣習よりも、より精神的なところに変化していったのです。
仏教のコンセプトや原理を支持し取り込むことで自分の人生をより明るいものにできればと思っています。私は、この不思議な仏教への旅がタイから始まったことを忘れることはないでしょう。

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